幻の焼酎
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2008年11月のブログでこんな事を書いた。
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柳田酒造
今年35歳の柳田 正さんのもとを訪れた
その土地で、焼酎蔵として一番歴史のある柳田酒造は、宮崎と鹿児島との県境に位置する都城にある
元々この街には、11の焼酎蔵があった
だが今は、たった3つの蔵しか残っていない
理由は芋焼酎最大手の蔵によって、商売にならなくなったからだ
力が無かったと言えば、それまでだ
それでも生き残る必要があった
30年前、都城では大手の芋焼酎しか飲まれなくなった
柳田酒造も本当は商売を畳んでしまおうと思っていた
しかし、都城最古の歴史をもつ蔵に、地元の方々は他の道を探してでも、残ってほしいと訴えかけた
そこで当時の社長は芋焼酎をあきらめ、当時流行りだしていた「麦」焼酎を作る事にしたのだ
そして、食中酒としての麦焼酎「駒」が誕生したのだ
時が経ち、その蔵の息子も大人になった
東京の大学をでて、エンジニアとして働いていた蔵の次男、正さんが何故か蔵を次ぐ事になった
長男は焼酎を作るための大学を出ていたのだが、東京で別の仕事をして、そこでエリートコースに乗ってしまい
宮崎には帰れなくなっていたのだ
「焼酎の事なんか、何もわからなかった」
正さんは素直に話してくれた
蔵に戻って来た時に、最初に目が向いたのが蒸留機だったそうだ
もともとエンジニアだったから、焼酎にとって大切な微生物や酵母のことよりも、機械いじりが楽しかったようだ
それに、正さんが戻ったからには、もう一度、もともとあった芋焼酎「千本桜」を復活させようとも考えていた
だが、その考えは一人の酒屋さんの言葉で一蹴された
「お前が芋焼酎を作っても、オレはお前の酒を置いてやらんよ」
考えさせられた
30年前、蔵を守るために、先代が芋焼酎をあきらめ、麦焼酎造りに没頭した歴史を思い知らされた
その先代の麦焼酎を超えるものを作ったとき、初めて芋を作れるのだ
そして5年程前、正さんの処女作「赤鹿毛」(あかかげ)が誕生したのだ
酵母や麹の微生物のことは、あまり分からないが、機械のことなら少しは分かる
蒸留機を自分で改造し、先代の作った「駒」をもとに、新しい蒸留法で作り上げたのだ
きつい言葉で激励していた酒屋さんも、納得してくれた
そして去年、第2作「青鹿毛」(あおかげ)も出来上がった
こちらも「駒」がベースになっている
この焼酎は食後酒として、位置づけている
既に2つの作品を作ったが、まだ芋焼酎には手を出さないそうだ
なにしろ、2つとも「駒」をベースにしているからだ
全く新しい、別の麦焼酎を世に出してからでないと、その先に進めない
こんな話を聞きながら飲んだ、「駒」「赤鹿毛」「青鹿毛」は格別に旨かった
幻の芋焼酎「千本桜」が飲める日も、そう遠くはなさそうだ
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長い文章を読んでくれてありがとう。
その幻の芋焼酎「千本桜」が、6年のときを経て、手元に届いた。
思いっきり味わおう。
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