店主プロフィール
オオクボヒトシ
1969年東京生まれ
1998年に、練馬区武蔵関で「jeans kitchen」を開店
2012年、関町酒場ぐるぐるを開店
2014年、田無に「ぐるぐる田無」を開店
そんな私の経歴は、こんな感じです。
実家で両親が飲食店を経営していた事もあってか、物心が付く頃には飲食店を持ちたいと思っていました。「皆を笑顔に出来る仕事だ」「28歳にはお店を持つぞ!」と。
ですが高校卒業後、すぐに飲食関係には付かず、他の道を選んだのです。もう一つの興味のあった事、語学の仕事に就いたのです。高卒で語学系の出版社に就職したのです。
働き出して1年ちょっと、19歳の夏、父が突然亡くなりました。母はもう一人では仕事を続けて行けない、手伝って欲しいと泣きついてきました。
そこで会社を辞め、母と二人で実家の店を切り盛りしていたのです。しかし、一年もたたないうちに母から決別を申し渡されました。
30年近く商売を続けてきた母からは若造のやり方は受け入れられません。その頃ちょうど良く、先の出版社から戻っておいでとのお誘いがありました。
出版社の営業を続けつつ、いつも胸の奥で何かが燻っているのです。
「やはり店が持ちたい!」その気持ちはウソではなかったのです。
理由を告げ、25歳で会社を辞め料理の世界へやっと入ったのです。今から始めれば30歳にはどうにか出店できる。
小さな割烹とホテルでそれなりに仕事を覚えさせてもらって勉強してきたつもりでした。でも、料理が出来るのと、経営をするのは全然違うものなのです。
たいした貯金もなく、信用もなく、並外れた技術があるわけもない20代の人間にどんな銀行がお金を貸してくれるでしょうか?
出店の1年前には自身を無くし、ニートになっていました。
自分には何も出来ないんだと塞ぎ込み、3ヶ月も家から出ない生活をしてました。
そんな時、妻から「働いてくれないと生活が出来ない、貯金ももうすぐなくなる」と言われ、仕方なく色んな会社に面接を受けに行きました。
もう料理の仕事は嫌だった。出来れば出版系の仕事に戻りたかった。でも、履歴書には飲食店の名前が書いてあり、行く先々の社長さんから、「料理を続けなさい」と諭され、どこの出版社からも採用は来ませんでした。
そしてしょうがなく飛び込んだ歌舞伎町の深夜営業の居酒屋で働くことになったのです。
そこで目が覚めました。色んな人に出会い、教えられ、自分でも出来ると背中を押されたのです。
すると不思議な事に偶然が飛び込んで来たのです。中学時代の同級生にばったり会い、話を聞くと実家の不動産屋を継いでいるとの事。
「店を持ちたい」そんな話をしたらとんとん拍子に物件を探してきてくれたのです。不動産屋の社長が銀行とのパイプ役になり、融資の話もまとまったのです。
同級生と二人で図面を描き、文字通り手作りでお店を作りあげました。そして平成10年、29歳の時にジーンズキッチンをオープンすることが出来たのです。
そして現在、武蔵関の店舗は後輩に託しています。
知らない場所でも、お店を開いて成功させる。誰でも成功出来るって事をお店に来る人たち、後輩たちに知ってもらいたいのです。
ゼロから始まるお店ですが、よろしくお願いします。
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公開日:
最終更新日:2014/09/16